神代の願いの皇国日本から神国日本へ!

ヨハネ伝:1章9節 すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受け入れなっかた。・・・・・。3章16節 神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。・・・彼は彼の民のところに来られたが、彼の民のに来られたが、彼の民は受け入れなかった・・・。 

 聖徳太子、「日本国」創建時、帝都「平安京」の鬼門の方位の佐渡ヶ島に、国分寺国府を置かれ、佐渡国とされ、聖徳太子手になる毘沙門天の安置されている毘沙門堂弘法大師空海によって、嵯峨天皇勅願寺として蓮華峯寺が建立されたとされました。程なく、桓武天皇が、佐渡島民が都の清水寺のお参りできないことを憐れまれ、勅命によってが佐渡清水寺が建立されました。本堂には、救世殿の学が掲げられ、「極楽の涅槃の広場、浄土の神霊界の神道形式の拝殿」の密教形式の神社・仏閣一体の様式になっています。神代のイザナギイザナミの天の御柱を巡る凸凹合体の国生みの神事の過ちから始まった神事から出発してしまった歴史が、「穢れを祓い、禊によって」神前結婚を通じて、天の前に、会衆の見守りの中で、夫婦の契りを誓い、神様の大御宝の国民しての家庭出発の伝統の大和の「八紘一宇」の国の国事。「穢れ祓い、禊」の神事から開放された悲願成就の天子様降臨、小乗仏教の悲願の弥勒仏下降、大乗仏教悲願の阿彌陀佛下向の時代を迎える佐渡の鬼門の開放日の訪れに備える時代です。

佐渡は、キリシタン禁止令の難を身の回りの人々に及ばさないようにと、佐渡金山の地下深く身を潜め信仰を貫いた人々が見つかり、棄教すれば命を助けるが、棄教しなければ処刑するとの立場の中で殉教の道を貫いたクリスチャンの眠るクリスチャン塚の聖地もあります。縄文、弥生遺跡も残り、多くの人種、内地からの移住の民のるつぼで、狭い島内のことも在り、種々の血統が入り乱れている佐渡人です。世界の人種の縮図のような佐渡ヶ島です。長く綴りましたが、「大和の国」の国体を取り戻しましょう!